AI KOWADA GALLERY では池田武史の個展 "All Day Long" を開催いたします。 東京芸術大学大学院映像研究科を卒業しアーティストとして活動する一方、ハードコアパンクバン ド・Core of bells のドラムとしても活躍している池田は、今年 ACC のグラントに選ばれ、現在、 NY、ブルックリンで滞在制作をしています。
池田が 6 月に asia art archive in america で発表したパフォーマンスには MOMA, Guggenheim Museum, New Museum 等のキュレーターが集まり関心を寄せるなど、大きな評判を得ました。
ニューヨークでの滞在制作後初の個展となる本展は、「音や音楽の不在」を音で表現する難解な コンセプトに挑戦します。震災後の日本社会がみせた音楽活動に対する非寛容さ、そしてそれによっ て生じた音楽活動の委縮を体験した池田は、ジョン・ケージや 60 年代のアメリカの実験音楽、フ ルクサスをリファレンスとしながら、本展により「音楽を単なる音のみとして扱うことをやめる」 すなわち音楽の定義を拡大することによりひらかれる新しい可能性を模索します。
音楽といわゆる「アート」の境を越えた芸術の在り方だと信じる池田だからこそ作り出すことの できる世界観をこの機会に是非ご高覧ください。
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震災が起きた直後、僕を含めた多くのいわゆる「音楽」に携わる人々は、 一時的にその活動を休止しました。計画停電が行われていた首都圏内で は、物理的にも社会的にもそれは困難に思え、半ば自主的に僕たちは音 楽することを止めていました。 ほぼ時を同じくして、風営法の取り締まりが厳しくなり大阪の複数の クラブが一斉に摘発を受けました。僕たちは、真夜中に音楽で踊って楽 しむことが、この国では法律的に禁止されていることを改めて思い知ら されたのです。
2011 年に起きた二つの状況の関連性の有無は分かりませんし、おそらく 無いのでしょうが、有事の際に真っ先に僕たちの「音楽」が一時的だと しても萎縮して(させられて)しまったことは、常に記憶にとどめてお くべきでしょう。
しかし、僕個人はこれらの出来事に抗うような表現は、署名や募金を 含め一切加担しませんでしたし、今後もするつもりはありません。言い 換えれば、萎縮に抵抗して「演奏し続ける」「踊り続ける」ことも、それ を支援することも、僕には出来ませんでした。萎縮が起きてしまったこ とを肯定的に扱う表現を、その後の音楽を、無理を承知で誰かが行うべ きだと考えたからです。 実際、震災直後に僕がしていたことは、音楽を積極的に発することで も受容することでもなく、それが無い時間に留まることでした。せっか くだから、音楽がない時間をそれとして楽しむことを選択したわけです。 この萎縮は僕たちに与えられた、少しだけ長い休符のようなものでした。
(事実、先に述べたように僕たち はいままでにない休符を、それも共通し た時間に強いられました。この休符は音楽にどのような変化をもたらす のでしょうか。)
今回の出品作である、太陽光によって昼の間だけ回転し夜になると静 止するミラーボールが、この休符に対していささか憂愁的な気分のなか で作られたことを、僕は否定しません。しかし、夜が来て静止している ミラーボールを見ることが、それらがかつて回転していた時と同様に、 ひとつながりの時間の中で行われている単純な事実を、僕たちは時折忘 れてしまっているように思えます。それらすべての時間をひとつの「音 楽」ととらえることはできないのでしょうか。そのうえで、新たな音楽 の言語を構築することはできないのでしょうか。 沈黙することを恐れずに、音楽を無理矢理作り出すのではなく、他者 とともにただ時間の中に参入していくこと。それがあの震災と萎縮を経 験した僕たちの、奪われない次の音楽を考えるための方法になるのでは ないでしょうか。そう、僕たちの音楽は一日中続く(Our music is all day long)のです。
2013 年 池田武史